おくら:東京−千束

OKURA: Senzoku, Tokyo


 埃舞う田舎の人工都市生活にも嫌気がさし,老若男女が普通に生活している普通の町に住みたくなり,大学を卒業してすぐに下宿探しを始めた.まだ定職につくあてもなく,アルバイトと学業を両立できるような距離にあるなるべく安い下宿をと,松戸,北綾瀬と南下しながら歩き回っていた.
 一息入れようと降りたのが浅草の町だったのだが,歩き回るにつれてこの町が好きになってしまった.煉瓦畳のアーケードをそれた路地には黒板塀の民家,格子引き戸の家がならび,塀の上,玄関の外には所狭しと小さな植木鉢が並んでいる,夏になると毎朝水を打つ音が聞こえそうなそんな町であった.不動産屋を何軒か回り,浅草は東京の中でもちょっと変わった町で,浅草に勤める人は浅草に住むことが多いので,下宿はあっても高いということを知った.
 やっと探した不動産屋で老紳士風の営業にちょっと遠いけれども見に行きますかと言われ,下町の人は足が速いなと思いながら歩くこと 15 分ほど.ついたところは竜泉という三ノ輪と千束の境目の場所であった.めざす下宿は大家さんが尾山洋装店という仕立屋でその路地裏の家の二階.六畳一間,トイレ共同,流しは専用のがあるが部屋の外,風呂無し,木の桟のガラス戸,柱は真っ黒という多分終戦後しばらくしてたてたまま,という建物だった.
 しかし,窓は北東に開いた角部屋で押し入れも一間と大きく,路地を出れば向かいが一葉泉という風呂屋(昔はおゆうやと言ったらしい),その向かいが手焼き煎餅の煎餅屋,裏へ回ると樋口一葉の一葉記念館であった.
 いっぺんで気に入った僕はすぐに借りる手続きをとり,引っ越してきたのであっ た.

 秋葉原まで出向き,電球やら延長コードやらを買い込んで下宿にたどり着くとすでにあたりは暗くなっていた.電球をとりつけて,夕食がてら散歩に出かけようと外に出ると,少し先のビルの間から派手な光が点滅しているのが見えた.それが吉原であることを知ったのは,すぐ後のことであった.国際通りにはまだ国際劇場があり,浅草十二階をまねた仁丹塔も立っていた頃の話である.

 悪場所といわれる吉原も,近所に住んでみるとそれほど気になることもなく,道路を隔てて普通の人家とはきちっと分けられていた.かえって客や従業員のために明け方まで開いている喫茶店があったりして,冷房のない下宿に住む身としては夏の寝苦しい夜涼みに行く場所を提供してくれたことになる.
 午前二時過ぎまで並んでいたタクシーの列も,風俗営業法施行とともに十二時ともなるとばったりと途絶えるようになり,エイズ騒ぎで人出もまばらになったある夜,明るい電灯に誘われて入った居酒屋がおくらだった.竜泉から乙姫のある千束通りに行くには吉原の端をかすめる路地を歩くのが近道であった.その道筋にひっそりとある.

 三時頃まで店を開けているおくらは,12時頃に行くとお客はいても2,3人である.短髪で巨人ファンのマスターが一人で切り盛りしている店であるが,刺身,焼き魚などは新鮮なものを出してくれる.夏は生ビールでも飲みながら,マスターと話していくと眠る時間になる.

 この5月から7月にかけて店が閉まっている.どうしたのだろう...


 看板はまだ出ているが,閉店してしまったようだ.
 マスターとは話があって楽しく飲めたのに残念.
 復活を祈ります.

1995.12.2