乙姫(旧店舗):東京−西浅草


 それでは今回は私の大好きな飲み屋についてお話しましょう。

 場所は浅草。営団地下鉄銀座線田原町駅を降りて三の輪は大関横町方面へと国際通りをずっと下りますてえと右手に見えるのが ROX ビル,そのビルの裏側に国際通りと平行して通る道が浅草六区でして。この道をかまわず同じ方向に進んで参ります。戦後の闇市の頃まではそれはそれは栄えた町だと申しますが,それも今は昔。それでも演芸場,フランス座,ロック座などはそれなりに入りはありそうでございまして。そうそう木馬館なんてのもございますな。暗くなりますと右手に花やしきの展望タワーがわびしげにいるみねーしょんなぞを光らせております。こんな六区も土日は大変な混雑でございまして。場外馬券売場ですな。近頃はういんずなどと申すそうでございますが,枯れ木も山の賑わい,六区もういんずの賑わいてなわけで,お馬さんの予想をなりわいとされる方がたが渋い声で出店をはるわけであります。で,その暗い道をとぼとぼと歩いて参りますとやや短いあーけーどがありましてかまわず通り抜けていきます。ぶつかった通りが言問通り。ここを渡りましてどて通りまで続く商店街を千束通り商店街と申します。

 昭和33年といえば私ことたつきちが何の因果かこの世に生を受けた年でございまして,たつきちといえば世界中広しといえど私のことでございます(あれ?)。その昭和の天皇が即位なさって33年めにはしもじもの方でも事件がございまして売春防止法というやつですな。これが千束通り商店街を日本の商店街から近場の商店街へと営業戦略を変換せざるをえなくしてしまったわけでして。それまでは浅草で一寸ひっかけて吉原へくりだそう,吉原で遊んだあとは浅草で飲みましょうてな具合に千束通りが通り道だったわけでございますが,体を張って金銭と交換するという経済行為が法的に禁止されてこのかた一見のお客さんがこの通りを通ることが少なくなりました。

 で,枕が長くなりましたが言問通りを渡って千束通りの右っ側を歩きまして最初の信号の角が目ざす飲み屋「乙姫」でございます。「泡盛」とでかい張り紙がしてありますからよもや間違うことはないとは思いますが,ひょっとして最近のお客さんは潰れた店が雨っさらしになっていると思われて通りすぎてしまうかも知れないので念の為。随分と年代を経た渋い建物を私らなんぞはボロいと一言ですましてしまうわけですが,そのがらす戸をがたぴしっと開けて入りますと「く」の字の形をしたもと白木のかうんたーがありますな。なかにはおかみさんがすわっています。えーと,若さに不自由な女性というのですかな。くの字の角にはなにやら真っ黒いものがぐつぐつしておりまして,名物の牛の煮込みです。これがやたら旨い。泡盛りにとても良く合うわけでございます。欠けたぐらすから泡盛りをちびり,横のこっぷかららむねをちびり,煮込みをちびり,とやっているうちに夜は更けてまいります。

 下町には下町のやりかた,といいますか,まあ,住んでみるとそれなりの道というものがあるようでして,乙姫のたぶーというやつは「飲んでこない」ということでして,顔を赤くして入ってこようものなら,おかみさんはぶすっとしておいだされてしまいますので,その点ご理解下さいますよう,老爺心ながらつけ加えておきます,
はい。

 えー,お後がよろしいようで。

----- 木枯らしが煮込みで泡盛呑めと云い
----- ういんずに闇市透かす泡盛屋
-----
----- ん,,,おやじ,旨めえぞ。

PS:
 時代は移り,浅草の風もそろりそろりと町を変えていくようです。いろいろ親切にしていただいた「豊」の御夫婦が千葉県に移ってしまい,残念... と思っていたら,長年通った乙姫も息子さんに代を譲り,平成 11 年の正月まで改装中のお休みとなってしまいました(後記:平成 11 年 5 月に新装開店しました)。閉店前,おばさんに記念写真をお願いしたら断わられてしまったけれど,店の外側の写真はこっそりデジカメにしまっておきました。でも,もう黄昏時の薄暗い店の中,ガタピシ扉のガラス越し,千束通りの人の流れをぼおっと眺めながら厚手の欠けたグラスで泡盛をちびりちびりとやることもないんだろうなあ。自分も歳をとるわけだ。
 煮込みは11月の一の酉から翌年の二回目のお富士さんまでですので,夏場はありません。
 おばさんは最近体調が思わしくないので,呼んでも出てこないか,出てきても断られる場合があります。
 古酒は酉の市の日しか出してくれません。酉の市以前に顔を出しておいて,飲ませてね,と頼むのがコツ。しかし,普通の泡盛が,そこらで出てくる古酒級です。乙姫の古酒は私も数度しか飲ませてもらってませんが,天に昇ってしまいました :-)

PPS:
 売春防止法は昭和 31 年に成立,昭和 32 年 4 月 1 日に一部施行, 1 年後に全て施行ということでございます。ただ,完了がいつやら,そのころ若さを持て余していた先輩方に聞かないとよくわかりませんね。

五度目の古酒もおいしかった。。。

PPPS:
 本年 (2001) 早春。おばさんは安らかに息を引き取ったそうです。入院中は何度かお見舞いにも伺って,ゆっくりと元気になる様子をみて安心していたのですが。しばらくして,墓に線香をあげに行きました。
 思えば,乙姫はそれまでうまいと思って飲んだことがなかった酒をうまいと思うようにしてくれた店でした。泡盛を焼酎と言うと怒っていたおばちゃんからすると,酒と言っても怒られるかな。
 泡盛じたいももちろんうまかったですが,ときおりカウンターを同じくする常連さんとぽつりぽつりと話すのもまた楽しいことでした,松戸さん,新宿さん,カメラさん,千葉さん,若い先生,小説家の南條先生,そして,一足先に旅立たれた島さん,皆,ちょっと頑固なおばちゃんとがたぴしの店が好きで集まっていたんですよね。
 新装開店した店のなかで, 50 年以上,乙姫をやっていてもまともに飲んだことの無かった泡盛を一杯,お客さんに飲まされて,ほんのりと顔を赤くして笑っていた顔は今でも覚えています。学校も途中でやめて,店の手伝い,終戦後の店の忙しさ,亡くなる直前まで,店のこと,常連さんのことを気にしていた仕事一筋のおばちゃんでした。
 ご冥福をお祈りします。
2001.7.13

PPPPS:
 再開発工事のためか,乙姫のあったブロック全体が取り壊され,アーケードの看板だけが残っていました。
2008.11

PPPPPS:
 息子さんの店は,同じ「乙姫」という店名で,草加駅前で開店していたようですが,足が遠のいている間にその店も閉店してしまったようです。
2015.9